「明哲会」の誕生
〜平成11年卒・大学生OBによる同窓会を取材して〜

 総明会は現在、若手の力に乏しいところがある。理由は幾つかあるが、その1つとして総明会と若手との接点が少なかったことが挙げられる。というより、若手が総明会を通じて何か会合を開くことがないのだ。大学生のうちは学内で昔の旧友と顔を合わすし、逆に社会人になると忙しくなり同窓会を開いている暇がない。だから、30代後半から40代にかけて、仕事も一段落ついたところで総会に出席し始めてくるというのが現状だ。


現・組織委員会の 藁谷(わらたに)豊 委員長はその現状を憂い、様々な改革を行った。その1つが、「大学4年生による同窓会の開催」である。

「多くの同窓生が社会人をむかえる前に、一度顔を合わせよう。それを通じ、総明会をよく知ってもらおう。」
そんなコンセプトのもと、一昨年の11月、平成10年卒の同窓会を第1回として始められた。会は好評を博し、去年の11月には第2回として、平成11年卒の同窓会が開催された。
この新しい試みは、一体どのようなものなのか?それを探るべく、M編集委員は平成11年卒の同窓会を取材した。



2002年11月29日午後5時頃、明治大学リバティータワー23階「サロン紫紺」にて、会の準備は既に始まっていた。開催は18:30からだが、運営スタッフは最後の追い込みといわんばかりに、念入りの準備に追われている。


会場に入ると、まず目に入ったのが豪勢な食事であった。元々の店の方々も準備に加わり、この同期会を盛り上げる糧になっている。また一方では、司会席で原稿読みに余念がない、今回の同窓会の司会・和田一馬氏がいた。彼は中学・高校と放送班に在籍しており、今でもその流暢な語り口は健在である。



また隅には、3つの投票箱が設置されていた。それぞれ「平成の11(いい)男たち」「M(マグニチュード)11」「明哲会」と書いてある。どうやら、この代の同窓会の名前を投票で決定するようだ。他にも、会則の書かれたプリントが用意されている。これも、平成11年卒同窓会独自の会則の制定と承認をする為のものである。このような、代独自の同窓会の機能を作る意味でも、この会は意義があると言えよう。

準備も落ち着いてきた頃、今回の同窓会の立ち上げ役である藁谷豊・組織委員会委員長が到着された。続々集まる同窓生を見て、「やっぱり、大学に入っても和泉と生田に分かれちゃうとなかなかみんなで会えないよね。大学で出会った人達と、高校・中学から知っている人達とは違うでしょ。だからこそ、こういう同窓会を大事にしてほしいんだよね。」とコメントされた。同窓生の盛り上がりに、陰から支えてきた藁谷委員長もお喜びのようであった。

その後、その代を教えてきた数多くの先生方も来訪された。教え子・先生方の再会にお互い喜び合い、思い出話にいとまがない様子である。

そんな中18:30、いよいよ同窓会が開催される。
まずはH11年卒の代表幹事である石川一仁氏から、会開催の辞が述べられた。「皆さん、こんばんは!今日は予想以上の方々に来て頂いたということで、幹事一同非常に喜んでおります。皆さんの後ろの方には先生方も多数御出席頂いておりますので、皆さんこういう時しかお会いすることができないと思うので、食べながら懐かしい話しをして頂ければと思っております。」


またここで、在学中学年主任を担当されていた粟野哲也先生の到着が遅れることも報告された。H11年卒の同窓生は、粟野先生が中学1年生のときからずっと学年主任として教えてきた学年である。明高生は3年間、明中生は6年間もお世話になった大恩師である。同窓生一同、到着が待たれる。

その後、現・明治高校教頭の山田伸夫先生から乾杯の音頭がとられた。「諸君達の学年は、高校3年生の時に文系4クラスの数Vを見させて頂きました。中学1年の頃から粟野先生が学年主任として歴任されまして、まあ『粟野学年』ということでずっと安心してですね、修学旅行なども来させて頂いた覚えがあります。社会人になっても頑張って、明治項校・中学校で育ったことを忘れないで、立派な社会人になってくれることを本当に祈っています。乾杯!」


全員の乾杯の後、会食の時間が始まる。さすが全員が若い大学生のせいか、一気に皿の上の食事が片付けられていく。その食事を楽しむ人がいる一方で、やはり懐かしい旧友や恩師の先生方と話が尽きない方々もいた。M編集委員は、そんな参加者の方々に今回の会の感想を聞いてみた。

「時期的にもちょうどいいしね。いい企画だと思いますよ。」
また、こんなコメントを残す方もいた。「俺は資格試験に落ちちゃったから、この時期にみんなに会うのは風当たり悪いよね。正直な感想として。」

そんな中、同窓会実行委員の白川誠氏が壇上に立った。「只今より平成11年卒同窓会名称を発表いたします。」事前に行われた同窓会名称の投票結果発表である。「平成11年卒同窓会は『明哲会』に決定いたしました!ありがとうございました!」なんと、明治高校の「明」と粟野哲也先生の「哲」が組み合った「明哲会」に名称が決まった。一気に拍手が起こる。先生の名前が同期会に起用されるという、独特の同窓会がここに誕生したのである。この学年にとって、粟野先生がいかに慕われてきたかが分かるだろう。

その後、開催から30分遅れで粟野哲也先生が到着された。「明哲会」の名称決定の影響もあってか、大恩師の到着に当然のことながら大拍手が起こった。

すぐに壇上に上られ、参加者に挨拶をなされた。「皆さん、到着が遅れて大変申し訳ありませんでした。実はこの前に、大学時代お世話になった先生と何十年ぶりかにお会いしてきました。大学卒業後、なかなかお世話になったお礼を言えずにいたので、非常に嬉しかったです。君たちともこういう会を通して、再開の喜びを分かち合いたいと思っています。」
このコメントの後、すぐに粟野先生の下に教え子が殺到し、1つのにぎやかな輪ができた。うらやましい師弟関係が、ここに現れている。

その後、御来場された恩師の先生方から1人1人お言葉を頂いた。中には明治高校をすでに退職なされ、この同窓会の為にはるばる北海道から駆けつけていただいた先生もいらっしゃった。久々の先生のお話しに、参加者達はみな盛り上がり感じ入っているようであった。

最後は参加者全員の集合写真を撮り、会は終了した。会の熱気はさめやらないのか、2次会に向かう人も数多くいた。

大学生の同窓会―。普通の中学・高校ではまず見られないであろう。これも、総明会という明治高校独自のOB会の賜物である。そのおかげで、ここまで有意義でにぎやかな同窓会が実現したのである。

「2年おきに同窓会を開きたいと考えている。」これは同窓会実行委員の方がおっしゃられていた言葉だが、この会を機に本当に実現するかもしれない。だとすれば、藁谷組織委員長の若手の改革は、若手の力不足にある総明会にとってこの上ない成功ではないだろうか。

今年の11月にも、平成12年卒の大学4年生による同窓会が開催される予定である―。