篠島正子先生インタビュー

 退職なされた先生方が現在現在何をされているか、また振り返ってみての明治はどんなところだったか、を皆さんに紹介したいと思います。

 今回は昨年3月31日を以って明校を定年退職なされた篠島先生にお話を伺いました。篠島先生は25年間明校の保健室を支えてくださった方です。



M編集委員(以下「M」) 「おはようございます。」
篠島先生(以下「先生」) 「おはようございます。」
M 「本日はお忙しいところわざわざありがとうございます。」
先生 「いーえ、あなたの方こそお元気?」
M 「はい、おかげさまで特に病気なども無く。では、さっそくですがインタビューのほうよろしいですか?」
先生 「はい、どうぞ」
M 「明治には何年いらしたのですか?」
先生 「25年間です。」
M 「以前頂いた資料の中で保健に携わっていたのは31年間とありましたが?」
先生 「後の6年は丸の内で働いていました。」
M 「それはOLではなくてですよね?」
先生

「(笑いながら)OLとしてではなくて、別の資格で働いていました。私はいつもそれを人に経歴を話すときに付け加えるんですよ。」
M 「というのは?」
先生

「保健というのは3つに分けられるんですよ。「地域保健」と「学校保健」、「産業保健」。「地域保健」というのは保健所などの行政関係、これは実習などで見てきています、そして明校での「学校保健」。「産業保健」というのは企業の保健業務です。」
M 「先生は一通りなされてきたわけですね。企業ではどういったことをなされていたんですか?」
先生 「人事部で職員の健康管理を行っていました。あの頃は高度成長期で企業も保健業務にだいぶ予算をだしてくれていたので仕事は充実していました。それからしばらくして結婚して退職しました。」
     
M 「明治に来るきっかけとなったのは?」
先生

「先輩が新入社員の健康診断を手伝ってくれと言われて、行ったんですよ。そこで恩師に『こんなことをやってないで、(いい所が)ありますよ』と言われてね、というのがきっかけです。」
M 「明校にいらしたのは何年でしょう?」
先生 「1978年だから、昭和53年です。」
     
M 「明校での生活の中で、印象に残った事故などを聴かせていただけますか?」
先生


「校内であった事故なんかでいえば、お昼時に(3号館2Fから1Fの)階段を走って降りたんでしょうね。階段で転んでパーンて!強化ガラスにぶつかってね。みんなお昼過ぎだから降りてくるんですよ、辺りが血の海で大騒ぎしてね」
M 「学食に行こうと思って走っていって…」
先生



「そう。今でもそれは忘れられない。あとね、1号館屋上にガラスがあったんですよ。頭じゃなくて良かったんだけど、腕を切っちゃったの。心臓に近いところだったから血がすごくてすぐに救急車を呼んだんだけれども、今では体制が違うんだけど、結構時間が立ってもまだ救急車がまだ学校の横にいるんですよ!」
M 「受け入れ先がなくて?」
先生
「そう、止血はされてたから良かったんだけど。どうなるかと思ってこれも忘れられない事件の一つでした。」
     
M 「今度は生徒の思い出などを聴かせていただけますか?」
先生 「卒業後に生徒たちが訪れてくれたりしてね、『今何々やってるよ』『誰々は来た?』とか言うんですよ。それで私こんなノート用意してね。『彼なら来たよ』とか色々お話するんですよ。」
M 「まさに生徒たちとの思い出ですね」
先生
「おもしろくてね、大事にとってありますよ。他にはJRAとの生徒の交流とかですね。私は授業などで生徒と関わりを持つことがなかったので、様々な形で子供たちと交流がもてたのが思い出ですね。」
     
M 「現在はどのようなことをなされているんですか?」
先生 「私はフリーで、やってることは残務整理。後は非営利団体ってなんていうんだっけ?」
M 「NPOでしたよね。」
先生 「そう、NPOで日本カウンセリング学会の研修のお手伝いなんかをさせてもらっています。」
M 「日本カウンセリング学会とは、どのようなところなのでしょう。」
先生


「昔は日本相談学会と言いました。その名前では何をやっているのかということがわかりにくいために1987年(昭和62年)にカウンセリング学会と改名しました。ここは学術団体で、私はそこの認定カウンセラーです。」
M 「具体的にはどのような活動をなさっているのですか?」
先生
「あらゆる分野のカウンセラーが、その分野での研究の発表や交流を通してさらなる向上を目指す、というのが第一の目的でしょう。」
M 「病院のカウンセラーとはどう違うのですか?」
先生
「臨床心理士などで、会員である方もいますし、またそうでない方もいます。病院だけにかぎらず、あらゆる分野でのカウンセラーが研究・発表のために所属するための機関なんです。」
M 「学会に所属していなくても差し支えないと言うことですか?」
先生

「まず会員になることが難しいです。学会役員(理事・監事)または正会員暦2年以上の推薦者が必要です。それから審査を受けて入会するわけなんですが。入会してから研究して、発表してと繰り返して認定カウンセラーの試験を受ける資格を得ます。」
M 「入会してからも大変なんですね。」
先生
「そうです。さらに試験を合格して認定カウンセラーになっても、また学会の活動に参加していないと失効してしまいます。」
M 「とても厳しいですね。」
先生
「国家資格ではないので、持ってるので何かができるということではないのですが。私はこのスキルを生かしたいと思っています。専門的になりすぎてしまうといけないのでこの程度にしておきましょう。」
   
M 「それでは最後の質問です。先生にとっての明治とは?」
先生 「ずっと考えていたのよ。なんだと思う?」
M 「ちょっと思いつかないですね。(先生の用意してくれた紙)青春ですか?」
先生 「そう。だってこんなにエネルギーを持って働ける場所って他に無いでしょ?」
M 「有り余ってますからね。」
先生
「自分の理想を持っていたし、それに向かって苦しくっても苦しくっても夢中で働いたから仕事の青春だったかなって思います。自分のやりたいことをできたって気持ちもあります。」
M 「明校は楽しかったですか?」
先生
「とても楽しかったです。さきほど苦しくっても苦しくってもと言いましたけど、今となってはそれもいい思い出になっています」
M 「それを聞くと僕たちも嬉しいです。本日はお忙しい中どうもありがとうございました」
先生 「お疲れ様でした」
     
  
先生と話していて、先生が学校を陰で支えてくれていたということを改めて実感しました。
これから始まる第二の人生では、ご自身の健康にもご留意下さるようお願いします。
お忙しい中取材に快く応じていただき誠にありがとうございました。

日本カウンセリング学会HP http://wwwsoc.nii.ac.jp/jacs2/index.html