
●「国民精神総動員」「堅仁持久」「一汁一菜」
●「日本人ならぜいたくは出来ないはずだ」「一億一心」
●「ぜいたくは敵だ」「八紘一宇」
●「月月火水木金金」
●「進め 貫け 米英に 最後の止め刺す日まで」「欲しがりません勝つまでは」
●「頑張れ敵も必死だ」「撃ちてし止まむ」
●「進め一億火の玉だ」「明日の一機より 今日の一機だ」
●「人生二十五年」
これらは、昭和12年から20年に至る年代順に作られた【戦時標語】である。
その他、年代は不明であるが「天皇は現人神」「聖戦完遂」「勝って兜の緒を締めよ」「一死報国」「鬼畜米英」等がある。
噴飯ものには「パーマネントは止めましょう」という標語もあり、多くの美容院が廃業に追い込まれたと聞く。
明治高・昭和26年卒の私たちは、生まれてから敗戦(昭和20年)に及ぶまで、徹底的に軍国主義教育を叩き込まれ、無数の軍事標語に心酔し、"日本は負ける訳がない"と、教育の総てを信じ、言わば、国策による「培養人間」となったのである。
とは言え、私たち以前の世代は、多少なりとも自由主義の残滓を吸収していて、それらの標語に疑念能力を持っていたものの、それでも「お国の為」に死地に赴く人も多かった。だが、敗戦は全ての価値観をひっくり返した。昨日までの正が悪となり、善が悪となった。
わが明治中学校に於いても例外ではない。肩を怒らせていた軍事教練の将校は忽然と姿を消し、剣道の教師は用務員まがいの仕事を始めたり、「万世一系・神州不滅」を唱えていた教師は、臆面もなく「デモクラシー」を説き始めた。培養人間である私たちは甚だ不器用だったから、突然の方向転換に戸惑うだけで、大人に対しての疑念や、裏切られた思いだけが急激に膨らんでしまったのである。

