日本は負ける訳が無い。わが国は神の国、いざとなれば神風が吹く。日本人の殆どは信じていた。私たちとて同じ思いだった。事実、歴史を繙いても、国土が外敵に侵され、占領されたことは皆無に等しい。然し、危機はあった。

 飛鳥時代の西暦661年。斎明女帝は百済の要請を受け朝鮮半島に出兵した。だが三年後、唐・新羅の連合軍に大敗し、斎明帝の没後、次いで即位した天智天皇は、大陸からの反抗を恐れ西日本各地に防塞を築き、近江大津に遷都した。
次なる国難は、元寇の役である。因みに、この「元寇」を詠んだ詩を引用してみよう。

一、四百余州を拳(こぞ)る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
  …中略…
四、天は怒りて海は 逆巻く大浪に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
  底の藻屑と消えて 残るは唯三人(みたり) いつしか雲晴れて 玄界灘月清し

 明治25年、永井建子(けんし)作詞・作曲の歌である。昭和一桁の人間なら誰もが歌える。
執権・北条時宗の1274年。蒙古襲来による壱岐・対馬・博多の侵略である。

 この時は、鎌倉武士の勇猛果敢な戦いと、詩にもあるように、折からの暴風によって蒙古軍は退却を余儀なくされた。この暴風を、後に「神風」として政府が喧伝、国策に利用したのは言うまでもない。だが、その「神風」が吹かばこそ、日本は愚かな選択をとった。

 それは、太平洋戦争の突入であり、悲惨な敗戦への道を辿る大きな過ちだったのである。
もっとも戦後になって"いや、負けてよかった。愚かな選択をして、結果的には正解だった"と言う人も居る。もし日本があの戦争に勝っていたら、この世界は、どんな世の中になっていたことやら…。実際、私たちもそう思う。


 1941年(昭和16年)12月8日、日本軍真珠湾攻撃。太平洋戦争勃発。
翌日の朝日新聞には、次のような記事が伝えられている。

ハワイ・比島に赫々の…(と、大見出し。)

米海軍に致命的な大鐵槌 戦艦六隻を轟沈大破す 航母一、大巡四をも撃破(見出し)

我海軍が決行せる、大奇襲作戦の成果は、實に戦史にその比類を見なゐ赫々たるものであった。戦艦二隻は瞬時を出ずして轟沈(轟沈とは一分以内に沈没することをいう)他の四隻は大破し、さらに大型巡洋艦四隻は大破し、航空部隊に大打撃をあたえ、ホノルル沖における航空母艦一隻と合して巨艦を失うこと實に十一、ここに米海軍は致命的な深傷を負ったものというべく、フィリッピンの敵空軍の潰滅とあはせて、輝かしき戦果はわれらの頭上に燦として輝いたのである。我に一隻の損害なく、太平洋を壓する大機動作戦は世界を驚倒せしめるに足る大成功を収めた。

※記事活字ともに原文通り

日本は、このように、巨象に立ち向かう小犬に等しき無謀な戦争に突入した。