入学式

 「入学式」の思い出を記す前に、またまた余談を--。
私たちの入学前、東宝映画「加藤隼戦闘隊」?の撮影が、わが校庭で行われたそうだ。
「主役の藤田進が号令台に立って…」先輩から聞かされ、憧憬感に胸が躍る。

 藤田といえば「姿三四郎」でお馴染みの俳優だ。それはさておき、その号令台を見つめながらの「入学式」の当日。
先ずは壇上、教頭先生の「入学心得」から始まった。当時、校長は明治大学総長の鵜沢聡明先生だったが、教頭の大橋留治先生が実質的な校長職を担っておられた。

 次いで、軍事教練の配属将校(退役軍人・予備将校?)の厳(いか)めしき訓示。「戦時下に於ける中学生の義務--云々」(それ以外は考えられない) 続いて早くも教練らしきものが行われた。使用不能の古びた三八銃を持たされ、怒声にも似た号令のもと、不動の姿勢を取らされたり、幾たびか、突いたり退いたりを繰り返し、足腰はフラフラとなった。音(ね)を上げればビンタがとぶ。

 その後、「組分け」が施された。先ずは全員背の大きい順から並び、一番大きい者から順にA・B・Cと分けられる。次にC・B・A、更にA・B・C…-と、これを順次繰り返すと三組が出来上がった。…と、誰かが思い出したが、よく考えてみると、当時ABCは敵性語だったので、一組、二組、三組だったかもしれぬ。

 愈々授業が始まった。渡された教科書は、粗悪な藁半紙のガリ版刷り。5〜6枚程度の紙切れは綴じられていない。国語・数学・地理・化学…。(敵性語の英語は無し) 教科内容とて定かに思い出せないが、母親に糸針で綴じて貰った記憶だけは、未だ新たに蘇る。

※謄写版…現在では殆ど見かけない。

 その授業とて、満足に行われた訳ではない。大半が「小国民の心得と軍人精神」の講話であり、「軍人勅諭」の丸暗記だった。この丸暗記をしくじると、それこそビンタがとぶ。
それは当時の学習の基本だったのだ。
「我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある昔神武天皇躬(み)つから大伴物部の兵ともを…云々」が冒頭にあってそのあと、
(一) 一つ 軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
(二) 二つ 軍人は礼儀を(重んずることを…)
(三) 三つ 軍人は武勇を(尊ぶことを…)
(四) 四つ 軍人は信義を(貫くことを…)
(五) 五つ 軍人は質素を(旨とすべきを…)

 50数年前に丸暗記させられたこの「軍人勅諭」は、「教育勅語」と共に、私たちの脳裏から消え去ることはない。国策による「培養人間」と先に述べたが、誤った教育の恐ろしさ(浸透性)は、現在にまで及んでいるのである。