
1945年(昭和20年) 4月1日、米軍沖縄上陸。
5月 7日、同盟国ドイツ降伏。
8月 6日、広島原爆。
8日、ソ連対日宣戦布告。
9日、長崎原爆。
8月14日、ポツダム宣言受諾。
8月15日、玉音放送。
9月 2日、降伏調印。
日本は負けた。吹くべき筈の「神風」も吹かなかった。
8月15日。玉音放送から数時間後。校庭から見上げた空は青く晴れ渡り、日本のプロペラ機が数機、戦争の名残りを惜しむかの如く舞っていた。それを見上げた誰もが、信じられない空虚な思いだったに違いない。何かホッとした反面、不安感が強く伴った。
「この先一体どうなるのだろう?」
休日、日比谷交差点へ「進駐軍」の米兵を見に行く。殆どが黒人兵だった。武装した彼らは一様に背丈が高く、カービン銃を携え、辺りを睥睨していた。左の腕に施された「第一騎兵隊」のワッペンが目を惹き、正直格好良かった。
第一生命ビルが接収されGHQとなった。玄関前でマッカーサー元帥を見る。質素な軍服、穏やかそうな顔、口に銜えたコーンパイプが印象的だった。
間もなく東京中にジープが走り回り、子供たちは米兵達に群がった。
「ギブ ミー チョコレート! シガレット!」
敗戦は日本人を卑屈にし、誇りをも失った。大人かち子供に至るまで、無関心・無気力・無責任…の悲しい風潮となり、日本人の多くは「自己中心主義」へと推移していく。
一方、政治でも同じことが言える。だが、これには様々な意見があるので、極論は控えるが、但し、敗戦後50数年経過した現在、日本は「独立」とは名ばかりの、依然として「属国なのである-…」と、断言したら誰か異論を唱えるであろうか?
明治中学校も「軍国主義」から「民主主義教育」と大きく様変わりをした。それは前にも述べた通りである。こうして私たちの学年は、明治中学校「創始以来のバカ」から、「戦中戦後を体験した唯一の一年生」となり、校史に名をとどめることとなった。

