No.015-2022 学校報告 紫紺祭・高校球技大会/高校体育祭
学校報告 紫紺祭・高校球技大会/高校体育祭
学校報告2021年度 「紫紺祭」
紫紺祭の前年度準備委員会現役生アンケート、総明会今年度幹事学年の寄稿文による紫紺祭の今昔を特集しています。
2021年度の様子
https://www.meiji.ac.jp/ko_chu/topics/detail/2021/20211207.html
2022年 紫紺祭 現役生アンケート
Q1.今回のテーマについて教えてください。
今年のスローガンは「創紫」です。withコロナの時代により新しい共生の形をとる文化祭をつくる「創始」に、明治らしさを加えていこうということで、明治カラーである紫をかけました。110回ということもあり長き年月をかけて築いてきたものをただ次につなぐだけではなく、進化させてバトンをわたしていきたいという意味があります。
Q2.紫紺祭の準備に携わろうとしたきっかけを教えてください。
高Ⅰで初めての文化祭が終わったときに、一人で最後まで準備していたところに友達が駆けつけてくれたり、部活であまり出られなかった子たちが一所懸命片づけをしていたりなどと、ささいながらも「みんなでつくった」ことが一番の思い出になっていました。それが自分にとって大きな出来事でした。次はそれを文化祭全体でみんなと共有したいと思ったのがきっかけです。
Q3.今年の文化祭準備委員会のメンバーは、どんなメンバーか教えてください。
私は高入生でしたので、右も左もわからないまま、飛び込んでしまった委員会でした。しかし、副委員長をはじめとしてたくさんの人々が支えてくれています。とてもあたたかい環境です。一人一人が自分のできることを全力で全うするそんな人々でできている思います。幹部、部門長に引っ張られて部門員の方々もやる気のある方たちであると願っています。
Q4.紫紺祭といえば、これだと感じるものを教えてください。
迫力のあるパフォーマンスや委員同士のやり取りなどに共通することで、「団結」だと思います。みんなでいいものにするという想いが紫紺祭を成り立たせていると去年感じました。
Q5.紫紺祭で成し遂げたいことを教えてください。
「悔いのない紫紺祭」にしたいです。あの時ああすればよかったが思い浮かばないほどでみんな全力で取り組み、意見交換をし、あっという間だったなとみんなに感じてもらいたいです。
Q6.Withコロナの時代ですが、その中での紫紺祭について、どう思いますか?
私たちの世代は、コロナでほとんどの行事が奪われてしまいました。何年も苦しめられているなかで、次につなぐ強い意志が紫紺祭に込められていると思います。去年のコロナ対策を考えて、今年はこのくらい緩和したいと前回、前々回の行いがあって、今につながっています。私たちの青春をこれ以上奪わせないために、伝統ある行事を潰さないために必要だと思っています。
高ⅡD組 皆川 桜さん
幹事学年寄稿文 平成5年紫紺祭「考え中」
私は中学在学中に歴史研究部と生徒会本部に、高校在学中に写真部に所属していましたので、どちらかというと体育祭よりも文化祭の方に深くかかわっていたと記憶しています。高Ⅱに進級し文準が組織されるにあたっては、生徒会の中心的メンバーとも親交が深かったこともあり、副委員長として文準に携わり、文準委員長の星野淳を支え、各委員会のお手伝いに励みました。
何分にも29年も前のことで、しかも委員長ではなく副委員長でしたので記憶が薄れていますが、テーマとイメージシートは強く記憶に残っています。
文準委員会でテーマをどうするか話し合ってもなかなか決まらず、文準委員の皆に意見を求めたところ、誰かが「考え中…」と答えました。おそらく良いテーマが思いつかず、答えに困って「考え中…」と言ったのでしょう。ところが満場一致で「おっ!それいいね!」となり、テーマはようやく「考え中」に決まりました。「人間は死ぬまで考え続ける」とか「文化祭は終着点ではなく通過点」という意味が込められていたと記憶しています。その場のノリで決まってしまったテーマではありましたが、当時の文準委員たちの心情が十二分に反映されていて、今思い返しても良いテーマであったと思っています。
装飾委員会を中心としたイメージシートの作成は、時間と労力を最も必要としました。デザインはどのような経緯で決まったか記憶していませんが、イメージシートいっぱいにアインシュタインの顔を描きました。イメージシートの大きさから4号館の生徒ホールでしか作業できず、また他の生徒たちには文化祭当日にお披露目するためか、通常の登校日には作業できませんでした。夏休みにほぼ毎日学校へ行き、装飾委員長の上野秀智と装飾副委員長の進藤圭輔の二人がリーダーシップを発揮して作業に邁進しました。私は作業の過程を写真に記録し、それが後に過程第42号に掲載されることになり、私と上野と進藤が過程第42号の編集委員になりました。装飾委員会は私たち高Ⅱのメンバーが主力でしたが、高Ⅰの後輩たちや夏休みの補習に来ていた同級生たちにも手伝ってもらい、遅れることなく完成させることができました。
この寄稿にあたって過程第42号を読み返しましたが、文化祭初日は暴風雨のためイメージシートの掲揚は断念、最終日に除幕式を行ったと記録されていました。その他、露店は金券制度を初めて導入、1号館の猿楽通り側の校門を開門したのもこの年が久しぶりだったようです。
文準は高Ⅱのメンバーを中心に組織されていましたが、高Ⅰや中学生の後輩たちも積極的に参加し、また高Ⅲの先輩たちにも助言をいただくなど、全校生徒で“ととのえる”行事でした。また高Ⅱのメンバーとの横の“縁”はもちろんのこと、所属している班・部が異なる後輩たちとの縦の“縁”も強まりました。
私は当時“縁”など全く気にせず文準に携わっていましたが、“縁”は後々になってから気づくものなのかもしれません。この寄稿にあたって29年前の文化祭のことを思い出すきっかけを与えてくれたのも、紫縁会の会報委員長で文準会計長だった櫻井勝也と、同じく紫縁会の会報委員で生徒会会長だった森平伊織との“縁”があったからこそです。現役生徒の皆さんは学力を身につけなければならないのはもちろんですが、受験勉強に時間を割く必要がないという明中・高の最大のメリットを有意義に活かし、様々な学校行事や班・部活動に積極的に参加して社会力も身につけていただきたいと思います。それが知らず知らずのうちに皆さんを第一級の人物として“ととのえ”、ふとした瞬間に“縁”を感じることが必ずあるはずです。
ところで、十数年前のことになりますが、西調布へ移転してから一度だけ文化祭に訪れたことがあります。確か今は校庭での催物はないとか。猿楽町に校舎があった頃の文化祭は、あの狭い校庭から見上げるイメージシートはなかなかの迫力でした。今の文化祭にはイメージシートはあるのでしょうか?私は土曜日も日曜日も祝日も忙しい仕事柄、文化祭に訪れる機会になかなか恵まれず残念ですが、いつかまたきっと訪れたいと思っています。
文化祭準備委員会副委員長 宮坂俊一郎(平成7年卒)
学校報告 2021年度 高校球技大会/高校体育祭
高校球技大会の今年度委員会現役生アンケート、総明会今年度幹事学年による高校体育祭の寄稿文による過程の今昔を特集しています。
https://www.meiji.ac.jp/ko_chu/topics/detail/2022/20220709kctop.html
2021年度 高校球技大会 寄稿アンケート
Q1.今回のテーマについて教えてください。
withコロナの中でも最大限楽しむ。
Q2.球技大会の準備に携わろうとしたきっかけを教えてください。
私はバスケ部に所属しているのですが、バスケ部の先輩が去年の球技大会委員長に就任し、コロナ禍にも関わらず大成功させた姿を見たことです。
Q3.今年の球技大会準備委員会のメンバーは、どんなメンバーか教えてください。
全員が本番へ向けて全力で取り組めて、参加者全員が楽しめる方法を常に考えられるメンバーです。
Q4.球技大会といえば、これだと感じられるものを教えてください。
クラスTシャツを着て、一致団結し競技に全力で取り組む姿とそれを応援する生徒の姿。
Q5.球技大会で成し遂げたいことを教えてください。
コロナ禍での実施ですが、今年度は保護者の方を受け入れることになりました。
制限が少しある中でも参加者全員が安全に、そいsて実施して良かった、楽しかったと思える球技大会にしたいです。
Q6.Withコロナの時代ですが、その中での球技大会について、どう思いますか?
コロナ禍2年目となり、練習場所として第一体育館を開放できるようになりました。
昨年は実現できなかったこともアリ、皆が練習の時間を大事に使っていました。
これはコロナ禍だからこそ、当たり前だと思っていたものの大切さに気づけたのだと思います。来年からは声援なども解禁されてくるはずです。ここから先は明るい未来しかないと思っています。
Ⅲ年D組 早瀬 羽貢
幹事学年寄稿文
もう何年前のことか数えることも億劫になってくるほどの大昔の、28年前に、私も体育会準備委員長を経験させていただきました。
何を思い、何が狙いで引き受けたのか、すでに忘却の彼方です。
覚えていることと言えば、誕生日の季節「春夏秋冬」でチーム分けをしていた慣例をやめて、A組からE組というというクラス対抗戦にし、1年から3年の混合チーム戦という形にしてみたこと、怪我が続出して数年間中止となっていた棒倒しを復活させたこと、くらいしか覚えていません。
そしてそれが成功だったのか失敗だったのかも、もはやわかりません。
ただ、今回の寄稿にあたり卒業アルバムなどを引っ張り出してみたところ、どうせやるなら、例年通りに無難に、ではなく、「自分達らしい」体育会にしたいと思って取り組んだ記憶が蘇ってきました。
技術の進歩、インターネットの普及、予想外のパンデミック、SDGs、”LGBTQ?”という複雑な状況と価値観の変化に、そして何よりも我が母校が男子校ではなくなっているという事実を受け入れて対応していくのが精一杯の今日この頃ではありますが、28年前から変わっていないことが一つだけあるなと思っています。
後輩の皆さん、「自分らしく」という言葉の優しい面だけに耳を傾けるのではなく、「自分らしく」ある為に、あなた目の前に立ち塞がる障壁を、乗り越え、かい潜り、時には破壊してでも突破していく本当の強さを身につけてください。本当の意味での「自分らしく」を手に入れる努力を惜しまないでください。
時間はかかるかもしれませんが、その努力に使った全ての労力が、必ず自分を良い方に導くと思います。
皆さんの未来には、明るい未来が必ずあります。この素晴らしい学校で過ごす残された時間を、誰にも負けない「自分らしく」と共に全力で楽しんでください。
そして何よりも、同じメッセージを28年前に18歳だった自分にも送ってあげたいと思い今回の寄稿とさせていただきます。
楽しんでください!
体育祭準備委員長 内田太樹