No.17-2022 学校報告 紫紺の下に
学校報告 「紫紺の下に」
「紫紺の下に」の前年度準備委員会現役生アンケート、総明会今年度幹事学年の寄稿文による「六旗の集い」・「紫紺の下に」の今昔を特集しています。
現役生寄稿アンケート
Q1.今回のテーマについて教えてください。
テーマは決めてなかったです。コロナ禍で様々なことが制限される中でも、技術力は妥協したくないというのはありました。
Q2.「紫紺の下に」へ向けて練習等での苦労したことを教えてください。
コロナの影響で練習時間が短くなったこと、それによって全員の体力が落ちてしまったです。又、開催日が順延となり、不安が大きかったりモチベーションが上がらなかったりと、精神的な面とも
Q3.「紫紺の下に」へ向けて練習等での頑張ったことを教えてください。
例年よりも準備期間が短い中での開催だったので、全ての曲を良い状態に出来る様、団員一同頑張りました。又、歓声を出せない中でもお客様に楽しんで頂くためにサイリウム等も使って工夫しました。苦労したことが多かったです。
Q4.コロナ禍で大変だったことを教えてください。
練習時間が確保できなかったこと、声出しを思いっきりできなかった事です。
Q5.「紫紺の下に」へ向けて練習等での思い出を教えてください。
開催日直前になり、学校内で感染が流行し予定通り開催するのが延期するのかはたまた中止するのか話し合いを進めていく中で改めてこの舞台に多くの人の連携で成り立っていることに気づきました。
去年は無観客だったこともあり、より一層この舞台の有難味を感じることができました。
Q6.「紫紺の下に」をやり遂げた感想を教えてください。
延期があったりと大変なこともあったけれど、同期や後輩と最後の舞台を作り上げられて本当に良かったです。
Q7.自分にとっての応援指導班とは?
いつも自身を高めてくれる場所。
Q8.後輩たちに伝えたいこと。
応援することが舞台に立つことに対して誇りと責任をもってほしい。選手たちの力になるためにはお客様や周りの人に元気になってもらうには班として学校に貢献するためには、何が必要なのか一人ひとりよく考えて日々の部活に励んでほしい。
Q9.顧問の先生との思い出を教えてください。
ご迷惑をお掛けしたことも多かったりけれど、部活の事だけでなく学業や生活面まで相談させて頂き沢山支えてくださいました。
応援指導班 幹部一同
幹事学年寄稿文 「六旗の集い」
第1回六旗の集いは、1964(昭和39)年10月25日立教大学タッカーホールにて行われました。それから間もなく60年の月日が経とうとしています。
第1回六旗の集いの参加校は、立教高校、法政一高、法政二高、慶應義塾高校、明大中野高校、明治高校の6校でした。その後、1976(昭和51)年に早稲田実業高校が、1993(平成5)年に早大本庄高校が加盟しています。
私が高校3年生の時の六旗の集い(1995(平成7)年2月5日)は、第30回目でした。参加校は、慶應義塾高校、早稲田実業高校、早大本庄高校、明治高校、そしてゲスト出演してもらった法政女子高校の5校でした。第1回から継続して参加した学校は慶應義塾高校と明治高校の2校のみになってしましました。応援団員が0名となってしまった、不祥事を起こして解散させられた様々な事情があったようです。明治高校応援団は顧問の先生方やOB諸先輩の御指導で正しい伝統を継承してこれたからこそ、正統派応援団として継続できているのだと思います。
さて、六旗の集いの縁と言えば、他校の応援団の同期との縁だと思います。私が高校3年生の夏の高校野球予選1回戦の対戦校は二松学舎高校でした。9回まで戦い抜きましたが応援の力が足りず敗退。その時、私は甲子園への夢を早稲田実業高校に託しました。早実の試合には1回戦から足を運びました。最前列に座り、早実の応援委員会と一緒に応援を続けました。準々決勝戦、対戦校は関東一高だったと思います。何対何で敗れたかも覚えておりませんが、試合終了後のエール交換時、なぜか悔し涙があふれてきたのを覚えております。
六旗の集いは、他校の事情により、2008(平成19)年の第43回以降、開催されておりません。2011(平成23)年から開催された紫紺の下にで明治高校のみのステージは継続できています。六旗の集いが還暦を迎える時に東京六大学付属高等学校応援団連盟が復活できるよう応援団OB会も動いていきたいと思います。
応援指導班 藤田 央