No.018-2022 学校報告 過程
学校報告 2021年度過程
過程の今年度委員会現役生アンケート、総明会今年度幹事学年の寄稿文による過程の今昔を特集しています。
2021年度 過程 寄稿アンケート
Q1.今回のテーマについて教えてください。
記念すべき第70号のテーマは「変化」。もちろんコロナによる変化もありますが、近年のオンライン社会への変化なども盛り込んだ内容・装丁を目指し、リモートフードファイトやOBOGへのzoomインタビューなど新しい企画を行うとともに、約10年ぶりの巻頭カラーページの復活なども実現しました。
Q2.過程へ向けて準備等での苦労したことを教えてください。
委員会の発足が遅れたこともあり、夏休みまでに企画を決めるのに大変苦労しました。70年の伝統を受け継ぎつつ、2021年の明校を表現できるような企画を目指しました。
Q3.過程へ向けて準備等での頑張ったことを教えてください。
委員会として委員の足並みをそろえること。委員会内でコンセプトや雑誌としてのイメージのズレが生じないようにこまめに確認しながら、記録誌としての過程をあり方を考えながら企画・編集を進めました。
Q4.コロナ禍で大変だったことを教えてください。
なかなか学校で集まって対面で作業ができなかったこと。夏休みには、ほぼ入校禁止状態にもなりました。しかし、この状況で何か新しいことができないか模索し、zoomによるミーティングのインタビューなどを行い、コロナと向き合いながら編集を進めました。
Q5.過程発刊へ向けて準備等での思い出を教えてください。
実は、二学期終了まで原稿が一つも終わっておらず、期末考査終了後、毎日、PC室に朝から晩までこもりきりで作業をし、入稿は、12月25日、そう、クリスマス当日でした…。しかし、そんな期間を乗り越えられたのは、ひとえに大量の吉川先生からの差し入れのおかげです。
Q6.過程をやり遂げた感想を教えてください。
1年間、苦難の連続でしたが、やり遂げて得たものはやはり「人との出逢い」です。委員会メンバーも中1-高Ⅲの全学年がおり、学年を超えた交流ができたとともに、OBOGの方々や、先生方、印刷会社の方々などたくさんの人と出逢い、つながることができ、改めて明校のタテの「縁」を感じました。
Q7.自分にとっての過程とは?
➡「明校生とつながる手段」
私は昔から過程を読むのが好きで、第1号から読んだことがありますが、その時代の雰囲気やその学年の特徴、男子校・共学校の空気感が読むだけでひしひしと伝わってきます。そして時代が違い、変化したことと時代が変われども変化しない明校生の精神、そんな「縁」を感じられるのが過程だと信じています。
Q8.後輩たちに伝えたいこと。
近年、予算などを含め、過程に対して冷ややかな声が向けられることもしばしばあります。しかし、70号の編集後記にも書きましたが、明校生がその年の明校を表現し、記録しておけるものは過程しかありません。興味があれば、ぜひ編集委員にもチャレンジしてほしいと思います。過程はきっと、明校を振り返るときにその意義がわかるものです。後輩の皆さんが、その時に皆さんなりの明校を感じられたら幸いです。そして、この伝統がいつまでも明校に残りますように。
Q9.その他
最後になりましたが、1年間何の知識もない委員一同を支えてくださった顧問の吉川先生・由井先生、印刷会社の方々、編集に協力してくださったすべての方、そして、今回このような場を与えてくださった総明会の皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
Ⅱ年G組29番 津島聖也
幹事学年寄稿文
私たちの在学当時は、過程編集委員会は主に高Ⅲの生徒により組織されていました。今思い返すと、高Ⅲは二学期に入ると定期考査に加えて実力考査も始まり、大学推薦を控えてとても大事な時期にもかかわらず、約20名もの編集委員がよく集まってくれたものだと今改めて感心しています。
当時の明高は赤点の教科が一つでもあれば留年してしまう厳しい進級基準があり、私は毎年ぎりぎりで進級していたほど成績が悪く、大学推薦も危うい状況でした。過程編集委員長を務める余裕など全くない状況ではありましたが、前年に第42号の編集委員も務めた経験と由井将雄先生からの依頼もあったので、思い切って引き受けました。自分も含め編集委員たちの試験勉強に悪影響を及ぼさないため、定期考査と実力考査の試験勉強が忙しくなる10月と11月に編集作業を行わなくても済むよう、一学期は企画に、夏休みは対談に集中しました。これらは第42号よりもかなり早く進捗したと記憶しています。
思い出深いのは、編集委員たちと過程担当の元谷恒先生との議論です。企画の段階から編集委員たちと元谷先生との意見の相違が目立ました。テーマは不要と考えていた編集委員たちとテーマは絶対に必要と譲らなかった元谷先生とが激しく議論を交わしたり、ミーティングではいつも元谷先生が「ちょっとだけ喋らせてくれ」と長々とお話しになって編集委員たちを苛立たせたり、とにかく双方の溝は深くなる一方でした。編集委員たちが自らの企画に対する思いを元谷先生に全力でぶつけていたのは、当時は“対立”と認識していました。しかし今思い返すと、編集委員たちの熱意は圧巻でしたし、元谷先生も「なんでここまで言われなきゃいけないんだろう…」(令和4年5月18日元谷先生談)と思われながらも編集委員たちの思いをよく受け止めてくださいました。12月には無事にアカマツ印刷さんへ入稿でき、編集委員全員の大学推薦も決まり、元谷先生をお招きして江戸一すたみな太郎綾瀬店で打ち上げを行ったことも忘れ難い思い出です。
夏休みは週に一度学校に集まり、ミーティングや編集作業を行った他、退任された吉田貞男先生や樋山正士先生との対談や、当時の公明党中央執行委員会委員長で羽田内閣の総務庁長官でもあった石田幸四郎先輩との対談で忙しい日々を送りました。中でも強く記憶に残っているのが、この年に新任された土岐明利先生との対談です。男坂の上に集合し、土岐先生の車で九十九里町の別荘へお邪魔しました。対談もそこそこに、九十九里浜の海の家で焼き蛤をご馳走になったことも良い思い出です。
前述しましたとおり、私たちの在学当時は、過程編集委員会は主に高Ⅲの生徒により組織されていて、しかも発行されるのは高校卒業式の日でした。1年間にわたって企画・編集してようやく発行された過程を手にし、編集委員たちが喜びを分かち合い、お互いに労をねぎらう時間はほんの僅かでした。在校生や先生からの感想を耳にすることなく、次号の編集委員たちに引き継ぎする間もなく卒業してしまうわけですから、当時は過程の“縁”をつなぐことは難しかったのではないかと思います。しかしこれほどまでに熱く“ととのえた”仕事は、今に至っても過程の他にはありません。
現役生徒の皆さんには過程編集委員会や様々な学校行事に積極的に参加していただきたいと思います。皆さんのこれからの人生に待ち構える大学や会社や家庭では学力以上に社会力や精神力が役立つと思います。明中・高は受験勉強に時間を割く必要がなく、学力はもちろんのこと社会力や精神力を身に付けられることが最大のメリットだと思います。私は過程編集委員長として編集委員たちと“縁”がつながり、過程第43号として“ととのえた”経験が、今になって会社や地域の仕事で役立っています。
明中・高の図書館で過程第43号の銀色の背表紙は編集委員たちの汗と涙の結晶としていつまでも輝き続けることと思います。私たちが明中・高で学んだ確かな証拠として後世に残すものに携われたことに、今改めて感謝する次第です。元谷先生、由井先生、そして編集委員の皆、本当にありがとうございました。
過程編集委員長 宮坂俊一郎